【歴史から解明】日本人がパンを好きな理由とは?

パン

東洋はり灸整骨院 院長の石丸です。今回は「日本人がパンを好きな理由」についてお話したいと思います。

パンが好きな方は多いと思います。ちなみに私は玄米を食べており、味が嫌いなわけではありませんがあまりパンは食べません。しかし、当院の患者様にきいてみたところパンが好きでパンをよく食べている方が非常に多いので、その理由をお伝えしたいと思います。

【動画解説】こんな患者さんは嫌われる!?

戦後にすすめられたパン食

和食

まず、前提として戦前までは日本ではパンは食べられていませんでした。まったく食べられていなかったかどうかはわかりませんが、基本的にはお米、みそ汁、お茶、漬物、焼き魚などの和食が中心でした。

日本では和食中心の食生活が続きましたが、戦後はGHQの政策によって日本人にパン食や牛乳などが推しすすめられました。戦後間もないころの日本は極度の食糧難であり、表向きは餓死者を出さないための政策だったとされています。しかし、実は日本人への愚民化政策だったのではないかとも考えられています。

アメリカが行った愚民化政策

GHQ

アメリカが日本に対して愚民化政策を行った理由は下記の5つが考えられます。

  • 日本は有色人種で唯一、国際連盟に加入していた
  • 日本は日露戦争に勝利した
  • 当時は人種差別がひどい時代だった
  • 第二次世界大戦時にアジアで独立を保っていたのは日本とタイだけだった
  • 日本と戦争をした際に日本人が非常にしぶとく強かった

これらの理由から当時のアメリカは2度と日本人が歯向かってこないようにいろいろなことを変えたといわれています。

たとえば、皆さんは今、世界で現存する国のなかでもっとも長い歴史を持つ国はどこかご存知でしょうか。実は今現在、世界でもっとも長い歴史を持つ国は日本なのです。これはギネスブックにも載っている事実ですが、日本の学校では教わらず、新聞やテレビでも報じられません。


このような日本人が日本人としての誇りをもたないようにするための政策が多くうたれましたが、食を変えることもそのひとつでした。体は食べ物でできているため、日本人が伝統的に食べてきたものを変えることで日本人の愚民化、弱体化をはかったわけです。これが本当のところだったのではないかと私は考えています。

母子手帳もGHQによる政策

母子手帳

また、実は母子手帳もGHQに使わされたものです。母子手帳はもともとアメリカで1915年~1930年まで利用されていました。しかし子どもの健康被害が多いことから1930年に廃止されています。

しかし1945年の敗戦後に日本人に使わせるべきだとするGHQの政策によって日本では昭和22年あたりから利用され、今現在も使われています。

幼少期にパンを食べた人が多い

菓子パン

話が少しパンから離れてしまいましたが、私も小学校の6年間は毎日、パン、牛乳、マーガリンの給食でした。今現在の給食では米飯の方が多いようですが、私は昭和49年生まれなので戦後29年ほどはまだまだそういった色が濃い時代だったのでしょう。

小学校の給食、つまり幼いときに食べたものは一生、食べたいと思うようになります。ですので、この時期にたくさんパンを食べていた人は大人になってからもパンが好きになるわけです。

その証拠に年齢が上がるほどパンが好きな人は多いです。GHQが日本にいた昭和20年から7年間ほどは力強い政策が行われていたため、とくに団塊の世代にはパン好きの方が多い印象です。実際に私の両親もパンが好きで毎朝、パンを食べています。

日本人は戦前には食べていなかったパンを戦後、GHQの政策によって食べされられました。ここがパン好きな日本人が多い1番の大きな理由ではないでしょうか。

パン食と小麦の健康被害

小麦

日本人がパン好きになった理由をお話してきましたが、私は連合国に対して嫌悪感を持っているわけではありません。そうではなく、こういった事実から日本人がパンを食べ始めたことを知っていただきたいと思います。

実際にパン食の普及によってコメの消費量は減り、小麦の消費量が増えました。しかしこの小麦については健康被害が多く報告されており、あらためて考える必要がある問題かと思います。

石丸昌志